「真夏の陽射」



第一章

 

 遡る事、数年。
当時は女子高生ブームと呼ばれ、流行りものは全て女子高生が火付け役になり、数々のヒット商品が生まれた。
 一方、マスコミでは「ブルセラ」「援助交際」などの低俗な話題ばかリ囁かれ、女子高生のイメージは確実にダウンしつつあった。

そんな中、凛子は都内近郊のとある女子高で、青春とは全く無縁の地味な生活を送っていた。
 厳しい校則にがんじがらめにされてしまい、清く正しい女子高生にならざるを得なかったのだ。
 同級生の中には、校則違反の短すぎるスカートやルーズソックス、耳にはピアス、茶髪、そして化粧をして学校に来るような、いわゆるコギャルも居た。
 彼女等の勇気ある行動だけは認めてはいたものの、凛子はコギャルグループの輪に入ることは無かった。
 彼女等の主な話題といえば、パーティー、ナンパ、合コン。興味を惹く言葉などひとつもない。
 彼氏どころか男友達もおらず、男は別の世界の生き物だと思っていた凛子には縁遠い話ばかりで、面白くも何とも無く、むしろ耳障りであった。
 コギャル独特の言葉やイントネーションも鼻につく。
 凛子はいつも彼女等を軽蔑の眼差しで眺めていた。

   世間は何故、こんな子達を「普通の女子高生」と呼ぶのだろう。
 自分みたいな女子高生だっているのに。
 最近の大人は皆、色眼鏡で私達を見ているような気がする。
 何も悪いことはしていないのに、いつも疑われているような、そんな気分。
 凛子のように真面目な生活を送っている女子高生にとってコギャルという人種は、大変不可解で迷惑な存在であった。

   かといって、特に勉強が出来たわけでもなく、成績は十人並み。
 クラス委員や生徒会役員などに推薦されるような人望も、立候補する勇気も、生憎持ち合わせていなかった。
 放送部に籍を置き、お昼の放送のアナウンスを務めてはいたものの、一年ちょっとで引退。
 この学校はそこそこの進学校で、二年生になると皆部活を辞めてしまい、放課後は進学塾に通い始めるようになっていた。
 もっとも凛子の場合は、才能のある新人の出現で、自分の居場所を失ってしまったという理由であったが。
 今勉強していることなんて将来何の役にも立たない、と感じていた凛子は、他の皆と同じように塾に通う気にもならなかった。

   こんなつまらない学校なら、いっそ辞めてしまおうか。
 しかし、他にやりたいことも思いつかぬまま、家と学校を往復するだけのルーティン・ワークがしばらく続いていた。
 毎日が、同じ様な一日。
 何の感動もないまま、自分の中の感情がひとつずつ消え去っていく。
 そして、何も感じなくなっていく……。
 季節だけが、無常にも移り変わっていった。


 気がつくとそこは一階の新しい教室で、窓際の席から見えるのは、はらはらと舞い散る桜の花びらであった。

   「凛子ちゃん、同じクラスになったね!よろしくね!」

    偶然隣の席に座った雪絵が、凛子の肩を叩くとニコッと微笑んでそう言った。
 雪絵は、凛子の友人の、友人の、友人、くらいの遠い存在で、ほんの顔見知り程度であった。
 真っ直ぐでサラサラの長い髪と、意思の強そうな眉毛が印象的な子だ。
 雪絵も一年生の時同じ放送部に所属していたが、間もなく退部したというのは後から聞いた話だ。
 元来、人付き合いは得意な方ではない凛子であったが、気さくな性格の雪絵とはすぐに打ち解けることが出来た。
 そして雪絵の友人の萌美や桜子と仲良くなるのにも、そう大した時間はかからなかった。

 仲良くなってから間もなく、雪絵は幼い頃から役者になるのが夢で、芝居をたくさん観て勉強をしているという事を知る。
 凛子も中学時代の三年間を演劇部で過ごしたという経験があって、その世界には興味があった。
 高校にも演劇部はあったが、入学当初の凛子は「演劇はもう中学でうんざりするほどやったから」という理由で入部しなかった。
 雪絵の場合は「ほぼ毎日活動に参加しなければならない演劇部に入って、他にやりたい事が出来なくなるのが嫌だから」だったと記憶している。
 雪絵からは演劇の他にも趣味や将来の夢の話が次々と出て来て、凛子を驚かせていた。
 例えばそれは、物語を書くことであったり、作詞作曲をすることであったり、書道、水泳、バスケットボール……。
 いつだったか、雪絵は誰かの言葉を借りて、こんなことを言っていた。

   「どんな経験も役者の身になる。回り道をしてもいい。いろいろなことに挑戦するべきだ」と。

   その言葉を信じて、あれもこれもと挑戦していく雪絵は、いつも生き生きとした眼をしていた。
 凛子はそんな雪絵に刺激されて、やっと青春らしきものを取り戻しつつあった。

   やがて、雪絵を中心にした仲良し四人グループ(雪絵、凛子、萌実、桜子)で、演劇サークル「TOYBOX」を結成する。
 といっても,当時行っていたのは舞台演劇ではなく、ラジオドラマのように、声だけで演じる劇。
 もともとは雪絵が役者の勉強の為にやっていた事の一つだった。
 少年や老女、あるいは動物といったキャラクターを一人で演じきっている雪絵の作品を初めて聴いて、凛子達は雪絵の芸の幅広さに深く感動した。
 そして、皆で作ったらより面白い作品が出来るのではないか、という萌美の提案がきっかけで、このサークルが誕生したのであった。

   TOYBOXが誕生して初めて行った活動は、各々が演じる役柄の設定だった。
 お昼休みに、机を向かい合わせてお弁当を食べながらの初会議。
 穏やかなやさしい雰囲気の萌実の役どころは、クールでボーイッシュな女の子。
 おとなしくて引っ込み思案な桜子は、元気いっぱいの仕切り屋生徒会長。
 凛子には、ほのぼの天然ボケ少女の役が与えられた。
 そして雪絵は、優雅なお嬢様役。
 皆、普段の自分とはかけ離れた個性的なキャラクターを演じてみようということになったのであった。

   雪絵の自宅の応接間をスタジオと呼び、メンバーはしばしばそこにこもって、いくつかの作品を作り上げた。
手前に録音用、奥にBGM用とラジカセが二台。そして効果音用キーボードを並べただけの、至ってシンプルなスタジオ。
 しかしながら、ステレオマイクを使って録音するだけで、割と本格的な作品に仕上がった。
 話の粗筋は、学校で休み時間中に皆で相談して決めて、雪絵が脚本を書く。
 脚本が出来上がってから、台詞の変更や追加(これは萌実の特技)、BGM・効果音の決定など再び皆の手が加わり、リハーサル、そして本番……。
 最後に雪絵によるテープの編集、ダビングを経て、完成作品がメンバー全員の手元に渡る。  毎回このような流れによって、作品が作られていった。

   忘れていた。
 自分とは違う、しかしながら自己の中に深く眠っていたと思われるもう一人の自分を召喚するという事の愉しさ。
 また、その行為によって得られる、胸のつかえが取れたような爽快感。
 そして、誰かを演じるたび、凛子は自分の心にひとつずつ色がついてゆくのを感じた。

   萌実や桜子もまた、凛子と同じような感情を抱いていた。
 初めは、二人とも演劇経験が全く無かった為、役作りに大変苦労していた。
 少しでも役作りの参考になるようにと、凛子はキャラクターのプロフィールを作ることを提案した。
 大まかなイメージは出来ていたので、それを基にそのキャラクターの身長体重、趣味や特技、住んでいる所、家族構成などを想像して書いてもらう。
 顔写真ならぬ、顔のイラストは凛子が描いた。
 そういえば小学校の頃、漫画家になるのが夢だったということを、凛子はこの時思い出した。
 このプロフィールが功を奏したのか、二人は初収録のときには見事にそのキャラクターを演じきっている。
 面白い事に、その日の萌実は、学校から雪絵の家にたどり着くまでずっとそのキャラクターで通していたんだということを、後で桜子から聞いた。
 TOYBOXのおかげで、萌実は以前よりアクティブになったし、桜子は自分から話が出来るようになってきた。


     TOYBOXが結成されてからしばらくして、クラスの他の友人達がTOYBOXの活動に興味を持ち始めた。
 休み時間中の活動が、彼女らには何か楽しそうな計画を立てているように見えたらしい。

   「ねぇねぇ、何の相談?仲間に入れてよ!」

   彼女らがTOYBOXの作品のリスナーとなり、そのうち、活動に参加したいという声も続々と挙がった。
 そんなこんなで季節が変わるたびにメンバーも増え、いつのまにやら十人に手が届くほどにまでなっていた。
 人数が多くなるにつれ、意見の食い違いなど、ちょっとしたトラブルもちらほらと発生したが、それでもなんとか皆仲良くやっていく事が出来ていた。

   一方、雪絵は、TOYBOXの活動を重ねるにつれ、次第に物足りなさを覚えていく。
 もっと、もっと、完成度の高い作品を作りたい。
 しかしそれは、他のメンバーの演劇に対する意識の向上を図らなければ、望めないことであった。
 雪絵はそのギャップに気づき始めていたが、あまり厳しい事が言えなかった。
 せっかく皆でワイワイ楽しくやっているのに、それに水を差すような事をして、気まずくなるのが怖かったからである。
   当時のTOYBOXの楽しさは、演劇の楽しさというよりは、やはり友人関係の楽しさが前提にあった。
 それをよく表している、こんなエピソードがある。

   おりしもその日は、雪絵と、後から加入したメンバーの一人である知世の十八回目の誕生日であった(この二人は偶然にも同じ誕生日だった)。
 メンバーの誕生日が近づくと必ず、なんらかのサプライズパーティーを開くのが恒例になっていた。
 こんな時、俄然張り切ってしまうのが、萌実であった。
 誕生日の数日前から、自前のテレコを学校に持参して、友人やお世話になっている先生方にお祝いのコメントを貰うべく、学校中を駆けずり回っていたのだ。
 以前の萌実からは想像もつかないくらいの大胆な行動に、皆、驚きを隠せないでいた。
 他のメンバーたちもまた、歌を吹き込んだオリジナルテープを創ったり、曲を作ったり、バースデーカードを作ったり……。
 皆それぞれの得意技を駆使して、愛情のこもったプレゼントを用意していた。
 ……そして。
 一時間目の授業が終わったと同時に萌実は、メンバー全員を教壇の前に召集した。
 萌実が教壇に立つと、皆、雪絵と知世をとり囲むようにして並び、とまどう二人の顔を交互に見て、ニコニコと微笑んでいる。
 萌実のふくよかな右手が、ふわりと、顔の高さまで上がった。
 視線が、今度は萌実の右手の白い指先に移る。
 暫しの沈黙の後、萌実の身体と手が同時に、小さく揺れ始めた。

   「Happy birthday to you......♪」

 やがて、ソプラノとアルトの二部合唱による祝福が、雪絵と知世を包み込んだ……。

 当時こそ、TOYBOXの名にふさわしい時代であった。
そもそもTOYBOXという名前は、いろいろなおもちゃが入っているおもちゃ箱のように「お互いの個性を認め合って、団結しよう」という意味で名づけられた。
 本当は初作品の学園ドラマのタイトルとしてつけられた名前だったが、作品収録後に未だサークル名が無い事にやっと気づき、あれこれ考えた末、同じ名前をつけたのだ。
    この名前の提案者は凛子であったが、近い将来、それを揺るがす大事件があろうとは、この時は全く予想もしていなかった。
 ずっと、このまま、卒業して離れ離れになっても、TOYBOXで皆と繋がっていられるであろう、そう信じていた。


 ある日の放課後。
 期末試験も終わり、明日から試験休みに入るので、久しぶりに遊びまくることにした。
 まずは腹ごしらえ、ということで、駅前のマックに足を運ぶ。
 フライドポテトの脂っこい匂いが充満した店内で、初めはたわいも無い雑談で盛り上がっていたはずだった。
だがしかし、話題は転換し、何時の間にかTOYBOXになっていた。
 新作のストーリーがどうのとか、新キャラがどうのとか……。
 そんなことは、この日に限ったことではない。いつだってそうだった。
ただし、この日いつもと違っていたことは、中心人物である桜子が会話に加わらずに、何か考え事をしている風だったということだった。

   「桜ちゃん、今日は元気ないね。どうしたの?」
 と、萌実が声を掛けると、桜子はやっと口を開いた。
 「これから……」
 「え?ボーリングに行って、カラオケでしょう?」
 「そうじゃなくて……」

 桜子は悩んでいた。
 彼女は教育熱心な母親に育てられ、いつも期待にこたえようと必死だった。
 進学塾に通いながらこの活動を続けていたのだが、先日の塾内テストの成績が下がったのを、母親にこんなふうに咎められたのだ。

   「そんなくだらない遊びばっかりしてるから、成績が下がったのよ!」
 「くだらないって、そんな……」
 「いますぐやめなさい!あなた受験生なのよ!そんな暇があったらもっと勉強しなさい!そうだわ、桜子、もう一つ塾に通いなさい!」
 「……。」

 その翌日、桜子の母親は新しい塾のパンフレットを桜子に渡してこう言ったのだった。
 「さっそく決めてきたから。学校の近くで、授業が終わったらすぐ直行できるところよ。」
 「どうして、そんな勝手に……」
 「月曜から金曜まで、毎日通ってもらいます。わかった?」
 「……。」

 これから、TOYBOXの活動には、なかなか参加出来なくなる……。
 桜子はそう言おうとしていたのだった。


 夢のような楽しさから、瞬時にして厳しい現実に引き戻された。
 これからは、受験勉強一色になってしまう。
 今までのように全員が集まるのは、難しくなってくる。
 それでも、TOYBOXの活動は続けていけるのであろうか。

 メンバー全員、皆、肩をがっくりと落としてうつむき、沈黙してしまった。

   店内の明るいBGMとコギャル女子高生達ののバカ笑いだけが、空しく響いていた。


[第二章に続く]


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